インド仏教の衰退は、イスラーム勢力による北インドの僧院破壊だけでは説明できません。ヴィクラマシーラ僧院などの破壊は北インドで仏教が終焉へ向かう大きな契機とされていますが、それ以前から衰退していた可能性も議論されています。また、南インドの一部では仏教活動が13世紀まで盛んで、その後も弱まりながら16世紀まで続いたとする研究成果があります。地域ごとの経緯を分けて考えることが大切です。
インド仏教の衰退は、僧院破壊だけでは説明できない
インド仏教の衰退を考えるとき、1200年前後のイスラーム勢力による僧院破壊が注目されます。北インドでは、ムスリム勢力の侵攻、とくにヴィクラマシーラ僧院の破壊を仏教終焉の決定的な契機とする見方が通説として紹介されています。
ただし、僧院が破壊されたことと、インド全域で仏教がその時点に一斉に消えたことは同じではありません。僧院破壊以前から衰退が進んでいた可能性も指摘され、地域によって仏教の存続時期にも違いがありました。したがって、「侵攻が唯一の原因だった」「破壊された瞬間にインド仏教が消滅した」とは言い切れません。
北インドでは僧院の破壊が大きな契機になった
ヴィクラマシーラ僧院の破壊
インド仏教終焉をめぐる通説では、北インドへのムスリム勢力の侵攻、とりわけヴィクラマシーラ僧院の破壊が決定的な契機とされています。KAKENの研究成果は、この通説を紹介する一方、南インドでは仏教が後世まで存続したことも明らかにしています。
2003年の書評も、1203年にヴィクラマシーラ寺が破壊されたことをインド仏教の終焉とみる説明を取り上げています。そのうえで、破壊以前から仏教が衰退していたのではないかと問いかけています。つまり、軍事的な攻撃は大きな打撃であっても、それだけで衰退の始まりから終わりまでを説明できるとは限りません。書評が紹介する議論は、僧院破壊と、それ以前の社会的・宗教的な変化を区別して考える手がかりになります。
ナーランダー僧院の破壊
ナーランダー僧院は、解説によると5世紀ごろにグプタ朝の王の保護のもとで建てられ、ヴァルダナ朝・パーラ朝の時代にも保護を受けました。その後、1200年ごろにゴール朝のイスラーム勢力によって破壊されたとされています。ナーランダー僧院の解説では、この長い歴史と破壊の経緯が紹介されています。
ナーランダーやヴィクラマシーラのような僧院は、仏教を支える重要な拠点でした。その破壊が北インドの仏教に深刻な影響を与えたことは想像できます。しかし、僧院の破壊は北インドの経緯を説明する材料であり、南インドを含むインド全域で同時に仏教が消えた証拠として扱うことはできません。
僧院破壊以前からの衰退をめぐる説
僧院破壊以前の衰退要因として、仏教が抽象的な哲学を重視したこと、家庭や日常の儀礼への関与が弱かったこと、伝道師が不足していたことなどが挙げられています。ただし、これらは書評が紹介・検討する説です。書評自体も、それぞれを決定的な理由とはしていません。そのため、確定した原因として断言するのではなく、衰退を説明するために提案されている見方として理解する必要があります。
民衆との距離が広がったのか、日常儀礼との関わりが弱かったのかといった点は、地域や時期を特定した資料をもとに検討する必要があります。また、イスラームが仏教に取って代わったという説明も、書評が紹介する一冊の仮説です。インド全域に当てはまる確定的な説明としては扱えません。
ヒンドゥー教の再興や王侯の庇護の変化も、インド仏教衰退の原因として語られることがあります。しかし、地域や時期を定めた根拠なしに、それらがインド全域で衰退を引き起こしたと結論づけることはできません。原因を一つに絞るより、政治的な出来事と、僧院や信徒をめぐる変化を分けて考えるのが適切です。
南インドでは仏教がより長く存続した
北インドの僧院破壊をインド全域の終焉と同一視できない理由の一つが、南インドでの存続です。KAKENの研究成果によると、タミル・ナードゥ州のカーヴェリ河デルタを中心とする地域では、仏教活動が13世紀まで盛んでした。その後も徐々に弱まりながら、16世紀まで存続したとされています。
この事例から、北インドで仏教が終焉へ向かった時期を、そのままインド全域の時期として当てはめることはできません。資料が示すのは特定の南インド地域の経緯です。ほかの地域について、同じ時期や同じ理由で衰退したと一般化することも避ける必要があります。
南インドの僧院組織をめぐる見解
南インドで仏教が終焉した要因について、研究代表者は、在俗信徒のあり方を僧侶の規範と一致させられず、僧の再生産の仕組みを十分に築けなかったため、僧院組織を維持できなかった可能性を示しています。これは南インドについての研究上の説明です。北インドを含むインド全域に共通する原因として広げて考えることはできません。
インド仏教はいつ衰退し、いつ終わったのか
インド仏教の衰退に、全地域共通の開始年や終焉の瞬間を一つだけ設定するのは適切ではありません。北インドについては、ヴィクラマシーラ僧院の破壊を13世紀の終焉の決定的な契機とする通説があります。一方、南インドのカーヴェリ河デルタでは13世紀まで活動が盛んで、その後も16世紀まで存続したとする研究成果があります。
したがって、「インド仏教はいつ滅びたのか」という問いには、北インドの終焉をめぐる説明と、南インドなどでの継続を分けて答える必要があります。僧院破壊は重要な出来事ですが、衰退の背景や地域差を無視して、それだけを唯一の原因とすることはできません。
まとめ
インド仏教の衰退は、イスラーム勢力による僧院破壊だけでは説明できません。北インドではヴィクラマシーラ僧院などの破壊が大きな契機とされる一方、破壊以前から衰退していた可能性も議論されています。さらに、南インドのカーヴェリ河デルタでは仏教活動が13世紀まで盛んで、その後も16世紀まで続いたとする研究成果があります。
要点は、僧院破壊を北インドの重要な出来事として捉えつつ、インド全域の一斉消滅とは区別することです。衰退要因についても、民衆との距離や僧院組織の維持などの説を、地域と根拠を確かめながら検討する必要があります。
